| 2006年04月 »

2004-09-30

浜田省吾Way-ロックスターの30年の軌跡と経済学

浜田省吾はアルバム「生まれたところを遠く離れて」を1976年4月21日にリリースして、ソロ・デビューをしました。
そして、2006年にはデビュー30周年となります。

当サイトの管理人(遠山)は1987年にアルバム「J.BOY」を聴いて以来、浜田省吾の魅力にとりつかれました。
それから19年間、彼の作る音楽に注目し、雑誌やファンクラブ会報を通じて発せられる彼の言葉に共感を深くしていました。

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浜田省吾ON THE ROAD 2022 武道館ライブの感想・レポート

ロックスター浜田省吾とテレビ

浜田省吾は「テレビに出ない」ということも有名ですが、現代の音楽業界において、それはマーケティング上の自殺行為に等しいとも言えます。
それでもアルバムは一定数を売り上げ、ライブ会場は常に満杯にするというセールス力は健在です。

テレビというマーケティングの特効薬に依存せず、地道なライブ活動を通してデビュー30周年を迎えるというのは、これは途轍もない偉業ではないかと思います。
一般の企業の事業活動でも、30年間も継続する事業は稀です。大抵の事業は数年で方向転換をしたり、撤退してしまうことが多いものです。

事業の継続が一番尊いはず

そんな視点で浜田省吾の30年の歩みをふりかえると、その中から経営やビジネス的視点でも学ぶべきところが多いのではないかと考えました。
遠山はインターネットというツールに特化して行政書士業を営んでいますが、メジャーなテレビという広告媒体には憧れがあります。(広告費が高すぎて、個人事業者には手が出せるシロモノでは無いんですけどね。)

でも、テレビに露出するのは、ある意味で既存のマスコミ利権に取り込まれることでもあるようです。
音楽の表現者である浜田省吾は、創作の自由を拘束されるテレビとのタイアップを避け、地道にライブ活動を継続してきたというのが実情に近いのでしょう。

これはデイトレードやアフェリエイト等で安易に稼ごうとする今の時代の空気に浸っている私達に、何かしらの教訓を与えてくれるのは無いか。
それがこのサイトを制作することになった動機です。

本サイトでは浜田省吾の活動について、ビジネス・経済学的視点から、遠山の独断による考察を加えております。
思い浮かぶテーマごとにページを作成しているため、テーマの順序に統一性はありません。
文書量としては、400字詰め原稿用紙換算で210枚程度はあります。(2006年4月現在)
サイトの左側メニューから、気になるキーワードが目に付いたらご一読頂けると幸いです。

当サイトは一個人のファン・サイトであり、浜田省吾氏及びロードアンドスカイとは何の関係もありません。
一介のファンの非公認サイトということでご理解下さい。

尚、本サイトの著作権に関しては、著作者紹介のページに詳細を記載します。

リンクして頂くことについては、大歓迎です。
リンクフリーですから、ブログ等で取り上げて頂けると嬉しかったりします。
特にリンクの連絡も不要です。
(但し、無断転載等の著作権法違反行為はご遠慮下さい。引用のルールは守りましょう。)


投稿者 : 03:36 PM

デビューと起業

 1976年4月21日に、浜田省吾はアルバム「生まれたところを遠く離れて」でソロ・デビューをした。
 その時代背景としては、高度経済成長後のオイルショックを経て、社会は激動の中で安定の道を模索していた。中核派と革マル派の抗争激化などの事件もあったが、学生運動は確実にその終焉を迎えつつあった。

 当時、浜田省吾は学園闘争で荒廃した神奈川大学を中退し、ミュージシャンとしてソロ・デビューする道を選んだ。(前年の1975年にはAIDOというグループのドラマーとして、アルバム・デビューはしていた。AIDOには、浜田省吾のツアーには欠かせないギタリストの町支寛二や、現在はROAD&SKYの社長を務める高橋信彦も所属していた。)
 しかし、経済的に支援してくれるスポンサーがいた訳でもなく、現在のようにミュージシャンが確立された職業とは言えない状況だった。

 当然ながら、音楽活動を継続する資金は乏しく、生活も苦しかったようだ。今では信じ難いことだが、浜田省吾もアルバイトをしながら生活費を稼いでいた。
 デビュー・アルバムに収録された「路地裏の少年」には、「アルバイト 電車で 横浜まで 帰る頃は 午前0時」という歌詞があるが、これは当時の実体験に基づくものだそうだ。偉大なロック・スターも、デビュー初期は生活苦を味わっていたわけだ。

 成功が約束されていたわけでもなく、生活の目途も立たない、そのような状況で、浜田省吾はデビュー・アルバムに全てを賭けていた。「これが最初で最期のアルバムになるかもしれない」。このような背水の陣を敷く覚悟で、制作に没頭したと述懐している。

 結果として、デビュー・アルバムは売れなかったが、「路地裏の少年」を気に入ってくれた音楽関係者が複数いて、その後の浜田省吾を精神面で支える存在になっていったそうだ。

 このように社会的成功を収めた人物でも、事業を起こした当時(起業時)には、大きな不安を抱えている。順風満帆なスタート・ダッシュを出来るケースの方が少ないのであろう。

 ここで事業の継続がいかに厳しいものであるかを示す数値を2つ紹介しよう。

 まずは2002年の起業統計調査によると、1年間の新設事業所数は26万件で開業率は4.2%。これに対して、廃業事業者数は39万3千件で廃業率は何と6.4%となる。
 つまり、今の日本経済においては、新規開業による登場よりも、廃業による退場の方が多いのだ。

 また、少し古い資料になるが、1998年の中小企業創造的活動実態調査によれば、開業後の1年未満で廃業する事業所は30%に達し、更に5年未満では75%が廃業するというショッキングなデータがある。
 一説によれば、開業後10年経過した場合の企業生存率は5%以下と言われている。

 このように起業は簡単であっても、その事業を長期間継続していくことは、本当に難しいことなのだ。
 これはミュージシャンという雲の上の職業では無くても、ごく身近なありふれた仕事でさえも、事業をしていくことの厳しさは変わりが無い。

 そういう遠山も、2003年4月に遠山行政書士事務所を開業した。

 実は行政書士という仕事について精通していたわけではない。この時点では、単に行政書士の資格を有しているという程度に過ぎなかった。
 開業資金も営業人脈も業務ノウハウも、全て皆無だった。いわゆる金ナシ・人脈ナシ・ノウハウナシの“三重苦の困ったちゃん”だった。

 こんな“困ったちゃん”が、独立起業しても食っていけるわけがない。そのくらいの常識は遠山も持っていた。
 そこで、家族を飢え死にさせないために選択したのが、週末起業だった。つまり、当時は会社勤務のビジネスマンをしながら、いつかは独立を夢見て行政書士業を副業として始めたのだ。

 日中は会社勤務をする傍らで、夜間と土日を行政書士の業務に充てるという思惑だった。
そのために、行政書士の仕事を誘引するためのホームページを作り、訪問者が問い合わせをしてくれる事を期待した。
もちろん、このような甘い計算通りに物事は運ばない。開業して半年は、1件の依頼もなかった。

 自分の思いとしては、早く行政書士業を軌道に乗せたかったが、あまりの無反応に頭を抱えてしまった。こういう時の心境は、精神的にキツいものだ。
 それでも、ホームページ閲覧者から激励の言葉を頂いたり、ホームページによる集客で実績を上げている同業者に刺激を受けたりしながら、方向性としては間違っていないという感覚を得ていた。

 その後、ネット上の様々なエキスパートの助言を得ながらホームページの改良を続け、会社員としての月収よりも行政書士業の収入が上回るようになり、2004年6月に晴れて独立することができた。

 起業や事業の継続には、適切なマーケティング判断が不可欠だが、起業者の信念と周囲の理解も必要だ。
 起業直後は誰でも苦しいものだ。その苦境を突破する原動力は、やはり起業者の信念の強さと、それを支える理解者にあると思う。

投稿者 : 02:59 PM

ネット活用

 

浜田省吾は、2006年4月現在で53歳だ。ソロデビューから30周年だから、その位の年齢になるのは仕方が無い。
(でも、ステージ上では20歳は若く見えるから羨ましい。)

 世間一般では50歳を超えた熟年世代は、ITやインターネットは苦手という先入観がある。
 しかし、浜田省吾はITやネットの活用には積極的だ。

 ROAD&SKYやSONYミュージックの公式ホームページでは、ビデオクリップ視聴やファンに向けたメッセージを提供している。
 携帯電話向けのコンテンツとして、着うた配信にも積極的だ。更にはsuicaによる日本初の電子ポスター予約(※注1)や、ConnectedD(※注2)を活用したCD購入者に対するファン・サービスも実施している。
 ディープなところでは、2002年の日韓共催ワールドカップ限定版「J・BOY」をネット配信した実績もある。

(※注1)
suicaとは、JR東日本が首都圏で発売している定期券・プリペイドカード。非接触式のICカードのため、改札通過の際にsuicaを財布から取り出す必要が無い。
suica電子ポスターとは、「東京駅」「上野駅」「品川駅」に設置された駅ポスターに、suicaをかざすことでCD予約ができるサービスのこと。

(※注2)
ConnectedD(コネクテッド)とは、特定の音楽CDを所有した購買者が、会員限定のホームページのコンテンツにアクセスしたり、壁紙やスクリーンセーバーをダウンロードできるサービスのこと。
コネクテッドの付加により、ファンは特典を受けられ、CD制作者はCDの販売促進を図ることができる。

 従来型のマーケティング手法で成功を収めた人は、ITやネットの活用を軽視しがちだが、浜田省吾に関しては新しい情報ツールを先取りしていると言えよう。

 浜田省吾がドラマやコマーシャルとのタイアップには消極的で、テレビには一歩距離を置いて付き合って来たことは、他の章でも述べた。
 なぜなら、これらのタイアップには先にイメージが決められており、あまりに制約が多いため自由な曲作りができないのだ。

 これはテレビという巨大メディアについては、スポンサーや広告会社の意向など、多くの調整を必要とするため、気軽には利用できないという事情がある。
 もちろん、テレビを利用した場合の広告費が高くつくという要素も見逃せない。

 また、テレビの特性として、無差別多量に情報提供はできるが、人々の記憶に残るのは一瞬である。長期的にテレビで広告を継続するには、莫大な費用がかかってしまう。
 また、多量にテレビで広告活動をしても、全ての視聴者が関心を示す訳ではない。

 これに対して、新しい情報メディアであるインターネットについては、ある面ではテレビと逆の特性を持っている。
 つまり、例えばホームページで広告を行った場合、ホームページへの訪問者数はテレビ視聴者数と比較すればごく僅かだ。しかし、ホームページへの訪問者は、ほとんどがそのホームページの内容に関心がある層だと言える。浜田省吾も、この点には注目しているのでは無いだろうか。
 ホームページを運営する費用も、現在のところはそれほど高額にはならない。よって、ランニング・コストが低いため、長期間の継続的な情報提供も可能だ。コアなファンは、いつまでもホームページを訪問してくれる。

 極論すれば、テレビはムダ撃ちも多い広告の絨毯爆撃であり、インターネットは最新のピンポイント爆撃であると言えよう。
 現在はテレビ視聴者人口の方が圧倒的に多いのだが、今後ネット人口の増加に伴い、広告手法は劇的に変化する可能性を予見させる。

 私的話題で恐縮だが、遠山は岐阜県の人口が4,000人に満たない山間部で生活をしている。現在の職業は行政書士だが、これもマイナーな仕事だ。その業務内容を知る人も多くは無いだろう。
 過疎地域で、しかもマイナーな仕事をしていて、生活は成り立つのだろうか。知人や同業者からも同様の質問をよく受ける。

 実は遠山がこのような環境でも生計が立てられるのは、インターネットの恩恵によるところが大きい。
 遠山はインターネットを利用した広告のみで営業活動を行い、日本全国から契約書作成等の依頼を受けている。片田舎の個人事務所だが、東京や大阪等の巨大都市圏を始め、南北の離島からも依頼は入る。
 経済力も何の力も無い一個人ですら、ネットの有効利用を図るだけで、集客は可能となるのだ。

 広告や営業にかかる経費を抑えて、ダイレクトに成果を上げたいという思惑は、どんな事業でも共通すると思う。
 そこで、ダイレクト・マーケティングの最新ツールであるインターネットを利用しないのはもったいない。インターネットは単なる情報検索だけの手段ではなく、あなたのビジネスや価値観を全国にPRするツールでもあるのだから。

投稿者 : 02:57 PM

アメリカンドリーム

 浜田省吾の歌にはアメリカへの思いが込められているものが多い。例えばアルバム「J.BOY」では「アメリカ」というタイトルの曲も存在する。
 その「アメリカ」の中で「映画の中のアメリカンドリーム」とも唄っている。

 ただ、浜田省吾の思いには、単なるサクセス・ストーリーとしてのアメリカンドリームだけではなく、もっと複雑な感情があるような気がする。

 それは浜田省吾が高校生のときに、呉の弾薬庫前の反戦デモに参加し、警官隊と対峙したときに感じた緊張であり、その米軍基地向けに放送されていたFENから聴こえるロックやR&Bの軽快なリズムでもあっただろう。

 当時はベトナム戦争の最中で、多感な若者の間には反戦気運が高まっていた。特に政治思想があったわけではない高校生も、反戦デモに参加するのは珍しいことではなかったという。
 そのような単に平和を望むだけのデモ隊に対し、警官隊を使って威圧する姿が、アメリカの横暴と映ったことは容易に想像できる。

 一方でFENから流れるロックやR&Bには純粋に憧れを抱き、ギターでそれらをコピーした。また、浜田省吾の初恋はロスから来た17歳の女の子であり、18歳であった彼は彼女の故郷にも興味を持っただろう。

 つまり、圧倒的な軍事力を背景に服従を強要する世界の嫌われ者としてのアメリカと、優れたミュージシャンや映画俳優が活躍する自由の国としてのアメリカが、浜田省吾の中で混沌として同居していたのだ。
 そのためアメリカの音楽を聴いて、その文化を積極的に享受しながら、米軍基地に対しては嫌悪感を抱くという葛藤を味わった。

 このような感性は、実は浜田省吾だけの問題ではなく、現在の日米関係でもそのままあてはまるのではないだろうか?
 経済や文化の交流という面では、日米は密接な関係にある。もちろん、政治や軍事面でも同様だ。

 アメリカが提供するハリウッドの娯楽やIT技術は好きだが、湾岸戦争時の戦費調達や工業製品の輸出規制など小うるさいところは嫌いだという人は多いだろう。
 しかも、うるさいだけでなく、このような無理難題を吹っかけてきたときには、力づくでそれを押し通してしまう。まるでドラえもんに出てくるジャイアンのような厚かましさだ。

 それでも、アメリカが優れている点は多いことを認め、アメリカとの関係は良好に保ちたいというのが平均的な日本人の感覚ではないだろうか。

 実際に経済やIT、マーケティングの分野では、アメリカの技術は進んでいる。アメリカで流行したことが1~3年遅れで日本に伝播するという現象は、いまだに日本はアメリカの技術を取り入れてカスタマイズすることで成立しているという事実を示している。

 例えば、小売業であればウォルマートの事例研究に熱心で、POSの活用等もアメリカ発の技術を日本でローカライズさせて発展させたものだ。コンビニエンスストアやフランチャイズ契約という事業形態もアメリカからの輸入物だ。

 ITの分野になれば、更に露骨となる。パソコンに関する主要技術は、ほとんどアメリカが先導している。

OSの分野ではWindowsを開発するMicrosoftの独壇場だし、ワープロ・表計算のオフィス・ソフトも同様だ。
 CPUはIntelの独占状態と言えよう。マッキントッシュも国産機ではない。
 インターネットの世界でも、検索エンジンのGoogleとYahooはアメリカ産だ。この巨大検索エンジンと連動して成長していく広告ビジネスも、アメリカに持っていかれるだろう。

 ちょっとアングラ色の強いビジネスも、アメリカから輸入されてしまう。最新の健康器具や資産運用のビジネスなど、いわゆるマルチ商法のネタ探しは、もっぱらアメリカで物色されている。(マルチ商法自体は合法だが、営利優先のあまり販売トラブルが多いことは否定できない。)

 このようにアメリカの先進技術を輸入して、それを日本市場向けにアレンジしてリリースするのが、戦後から続く一つの商売成功の方程式となっている。
 この方程式は現在でも有効だから、進歩が無いと言えるかもしれない。

 もちろん、自動車や精密加工、アニメーションなど、日本が世界に誇る技術分野も存在する。
 しかし、このような先進分野は安価な労働力を求めて海外移転が止まらない。日本国内では、世界最先端分野での若者の就労機会が減少し続けている。
 来るべき海外赴任に備えて、誰もが英会話学習に余念が無いという状況には、何か皮肉を感じてしまう。

 本来であれば、日本の先進分野をどんどん拡大していくのがベストだ。だが、実際にはIT関連技術のように、大きく遅れをとった分野が存在するのが現実だ。
 その現状認識を正しく持ち、立ち遅れた分野に関しては真摯に学んで、いつかはそれを克服していく努力が必要だ。

 浜田省吾はアメリカに対する憧憬と嫌悪感を共存させつつ、決してその片方に傾くことはしなかった。
 良いものは良くて、悪いものは悪い。その価値判断を個人の中で適切に消化できれば、良いエネルギーのみを吸収できるはずだ。

投稿者 : 02:27 PM

ひとりごと

このカテゴリーは、当サイト管理人の遠山の独り言を不定期に書いていきます。
基本的に、業務日誌ブログ等は他のサイトに公開しているため、ココのひとりごとに関しては更新頻度は低いです。
何か浜田省吾関係でトピックがあれば、更新をしていく予定です。

投稿者 : 01:24 PM

事業の罠

浜田省吾の曲には、浜田省吾自身の心境を書いた一人称の歌詞が多い。ステージの上での気分やライブ後のホテルでの様子など、歌詞からプライベートな部分を窺えることもある。

 そこから、歌詞を通じて浜田省吾が体験してきた危機を読取ることもできる。

 例えば「路地裏の少年」では、「裏切りの意味さえも知らないで 訳も無く砕けては手のひらから落ちた」と述懐している。
 また、「終わり無き疾走」では、「サクセスストーリー 罠に満ちたゲームに奪われて見失い お前から遠く離れた」と唄っている。

 恐らく音楽業界には虚実に満ちた世界があり、浜田省吾もその中で翻弄されたこともあったかもしれない。
 そんな想像を掻き立てる「裏切り」や「罠」というキーワードでもある。

 音楽業界ではない一般社会でも、「裏切り」や「罠」という落とし穴は多いものだ。真っ当な人生を歩んでいても、何度かは信頼関係のトラブルや詐欺師との遭遇を経験するものだ。

 そんな危機の状況では、悲しいかな素直で人間性の良い人ほど騙されたり、ワリを食う羽目になってしまう傾向がある。
 嘆かわしいことだが、それも現実だ。ビジネスの世界でも、個人的人間関係でも、トラブルを回避する術を身につけておかねばならない。

 遠山は消費者契約についてのクーリングオフ通知書の作成代行をするホームページも運営している。
 その関係で、実に多くの悪徳商法被害や契約トラブルについての生の声を見聞している。

 そうした悪徳商法や契約トラブルには、いくつかのパターンが存在する。

 脅しや恫喝に基づくもの、ありえない儲け話で人の欲を刺激するもの、男女間の恋愛感情を利用するものなどだ。

 いくつか具体的な事例を紹介しよう。

 脅しについては、いわゆる押し売りが典型的だ。羽毛布団や浄水器などの訪問販売に、このようなトラブルが多い。
 夜の10時過ぎに訪問してきたかと思えば、巧みな話術で部屋に上がりこみ、「こんな時間に契約を断られたら、もう訪問できる場所が無い。これだけ話をさせた以上は商品を買え。」と恫喝するセールスマンが実在する。
 そこで怒鳴り返したいところだが、それもできない善良な人も多い。

 儲け話といえば、マルチ商法が氾濫している。マルチ商法とは、一般流通していない商品を口コミで売る販売組織だが、その仕組み自体は合法だ。
 しかし、販売組織への入会には数十万円の商品を購入する義務が生じ、経済的負担が発生する。勧誘時には「数人の友人に商品を販売すればモトは取れる。もっと頑張れば利益も出るので、月収100万円も夢ではない。」などと甘言も焚き付けられる。
 実際には、営業経験に乏しい個人に高額商品の販売能力は無く、利益を上げるには厳しいものがある。頑張れば頑張るほど、友人には疎まれて人間関係が崩壊していく。
 全てのマルチ商法が怪しいわけでは無いが、トラブルが多いことは事実だ。

 男女の恋愛感情を悪用するのは、デート商法だ。街頭アンケートや電話をきっかけとして、何度かデートを重ねる。最近は出会い系サイトを通じて接触してくる機会も多い。
 最初は商売の話は出さないことも多いが、数回のデートの後に展示場に連れて行かれ、そこでダイヤモンドや毛皮・絵画などを勧められる。そして、150万円程のクレジット契約を締結する羽目になってしまう。これは男女共に被害者は多い。

 悪質なところでは、事業者を専門に狙った詐欺集団がある。個人事業主も含む事業者は、消費者保護法制の対象外となる。そのためクーリングオフ制度が活用できない。
 そこに狙いをつけて、事業者に不当に高額な電話機やインターネット機器を販売し、リース契約を締結する。リース契約は一度締結すると、中途解約は認められないので、契約が覆ることは無い。(2005年12月に特定商取引法の通達が一部改正され、一定の条件が揃えばリース契約でもクーリングオフできる余地はできた。)

 商取引を装った取り込み詐欺も横行している。新規の取引先には誰でも警戒するものだが、数回の取引を正常に行って信頼関係を築き、その後で数千万円分の商品を取り込んで逃げてしまう手口だ。
 信頼関係を作るため、会社の実績などを様々な偽装をする。こんな取り込み詐欺に引っかかれば、勤務している会社の破産にもつながりかねない。

 今後は、団塊世代の退職金を狙った詐欺やトラブルが増加することも予想される。従来からある先物取引の勧誘、住宅ローン金利を軽減すると称したローン借り換えに絡む住宅リフォーム工事など、被害金額は甚大だ。
 また、定年後に起業を考えている人は、安易なフランチャイズ契約への依存は考え直した方が良い。フランチャイズ契約なら、販売ノウハウや顧客の確保を本部に頼ることができるが、計画通りの売上は立たずに店じまいすることも多い。そもそも独立して事業を行うなら、販売ルートを他人に依存する時点で間違っている。

 以上はほんの一例だが、悪徳商法や契約トラブルというものは、誰にでも接点があるということは感じ取って頂けただろうか。
 詐欺師が近づいて来たときに、怪しいと思う嗅覚を養わなければならない。とにかく詐欺師は早く契約をさせたいので、結論を急かす傾向がある。高額な契約を誰にも相談できない状況下において、からめとってくる。
 そのような詐欺から身を守るには、高額な契約については必ず複数の人に相談することだ。そうすることで、客観的に自分の置かれた状況を把握できるようになる。

 ビジネスはスピードとも言うが、このようなケースでは断じて即決してはいけない。

投稿者 : 11:49 AM

著作者紹介

この「浜田省吾Way」の運営者紹介です。

当サイトをご訪問頂きまして、ありがとうございます。
サイト管理人の遠山桂と申します。
1968年生まれの中年です。

【ご注意】
このブログの運営開始をしたのは2004年であり、当時の投稿内容は情報として古くなっていることをご承知おきください。
近年の投稿は少なく、最新投稿は以下の記事になります。

浜田省吾ON THE ROAD 2022 武道館ライブの感想・レポート

ネットでよくある匿名主義でサイトを運営することも考えたのですが、その場合は僕の職業経歴や現在の仕事の内容など、情報を秘匿する必要が出てきます。
そうなると、書く内容にも制約がかかるため、思い切って実名公開での個人的なファン・サイトを作りました。

とは言っても、もともとインターネットで商用サイトを公開することで生計を立てている身ですから、僕の個人情報は今までもネット上で散々公開しております。
だから、敢えて匿名にする必要も無いという合理的判断です。(笑)

そこで、ネットで公開している僕のホームページの一部を以下にご紹介します。

この他にも諸々のサイトを運営しております。

より詳しい経歴は下記のページに掲載しております。

当サイト管理人(遠山桂)の経歴等のページ

これだけあちこちにいろいろと書いていたら、個人情報がどうのこうのとか言っていられません。
Googleで「遠山桂」と検索をかけたら、うじゃうじゃと出てきてデジタル・タトゥはあれこれあります。

このようなホームページで行政書士業を展開するようになったのは、2003年以降です。それ以前はサラリーマンでした。
ド田舎に住んでいるので、仕事を呼び込むにはインターネットしかないという切実な事情があって、ホームページによる営業を専門にしているわけです。

そんな我が身から見ると、テレビというマスコミの主流に背を向けて、それでいてライブ会場を満タンにする浜田省吾さんの生き様に、何か神々しさを感じてしまうのですね。
僕も日本の片隅のド田舎に住んでいても、商売の本流からは外れた傍流であっても、地道に継続することで事業は成り立つんだという気概を示し続けていきたいですね。
そういう思いから、こんな独り言のサイトを作ってしまいました。

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投稿者 : 08:10 AM