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デビューと起業

 1976年4月21日に、浜田省吾はアルバム「生まれたところを遠く離れて」でソロ・デビューをした。
 その時代背景としては、高度経済成長後のオイルショックを経て、社会は激動の中で安定の道を模索していた。中核派と革マル派の抗争激化などの事件もあったが、学生運動は確実にその終焉を迎えつつあった。

 当時、浜田省吾は学園闘争で荒廃した神奈川大学を中退し、ミュージシャンとしてソロ・デビューする道を選んだ。(前年の1975年にはAIDOというグループのドラマーとして、アルバム・デビューはしていた。AIDOには、浜田省吾のツアーには欠かせないギタリストの町支寛二や、現在はROAD&SKYの社長を務める高橋信彦も所属していた。)
 しかし、経済的に支援してくれるスポンサーがいた訳でもなく、現在のようにミュージシャンが確立された職業とは言えない状況だった。

 当然ながら、音楽活動を継続する資金は乏しく、生活も苦しかったようだ。今では信じ難いことだが、浜田省吾もアルバイトをしながら生活費を稼いでいた。
 デビュー・アルバムに収録された「路地裏の少年」には、「アルバイト 電車で 横浜まで 帰る頃は 午前0時」という歌詞があるが、これは当時の実体験に基づくものだそうだ。偉大なロック・スターも、デビュー初期は生活苦を味わっていたわけだ。

 成功が約束されていたわけでもなく、生活の目途も立たない、そのような状況で、浜田省吾はデビュー・アルバムに全てを賭けていた。「これが最初で最期のアルバムになるかもしれない」。このような背水の陣を敷く覚悟で、制作に没頭したと述懐している。

 結果として、デビュー・アルバムは売れなかったが、「路地裏の少年」を気に入ってくれた音楽関係者が複数いて、その後の浜田省吾を精神面で支える存在になっていったそうだ。

 このように社会的成功を収めた人物でも、事業を起こした当時(起業時)には、大きな不安を抱えている。順風満帆なスタート・ダッシュを出来るケースの方が少ないのであろう。

 ここで事業の継続がいかに厳しいものであるかを示す数値を2つ紹介しよう。

 まずは2002年の起業統計調査によると、1年間の新設事業所数は26万件で開業率は4.2%。これに対して、廃業事業者数は39万3千件で廃業率は何と6.4%となる。
 つまり、今の日本経済においては、新規開業による登場よりも、廃業による退場の方が多いのだ。

 また、少し古い資料になるが、1998年の中小企業創造的活動実態調査によれば、開業後の1年未満で廃業する事業所は30%に達し、更に5年未満では75%が廃業するというショッキングなデータがある。
 一説によれば、開業後10年経過した場合の企業生存率は5%以下と言われている。

 このように起業は簡単であっても、その事業を長期間継続していくことは、本当に難しいことなのだ。
 これはミュージシャンという雲の上の職業では無くても、ごく身近なありふれた仕事でさえも、事業をしていくことの厳しさは変わりが無い。

 そういう遠山も、2003年4月に遠山行政書士事務所を開業した。

 実は行政書士という仕事について精通していたわけではない。この時点では、単に行政書士の資格を有しているという程度に過ぎなかった。
 開業資金も営業人脈も業務ノウハウも、全て皆無だった。いわゆる金ナシ・人脈ナシ・ノウハウナシの“三重苦の困ったちゃん”だった。

 こんな“困ったちゃん”が、独立起業しても食っていけるわけがない。そのくらいの常識は遠山も持っていた。
 そこで、家族を飢え死にさせないために選択したのが、週末起業だった。つまり、当時は会社勤務のビジネスマンをしながら、いつかは独立を夢見て行政書士業を副業として始めたのだ。

 日中は会社勤務をする傍らで、夜間と土日を行政書士の業務に充てるという思惑だった。
そのために、行政書士の仕事を誘引するためのホームページを作り、訪問者が問い合わせをしてくれる事を期待した。
もちろん、このような甘い計算通りに物事は運ばない。開業して半年は、1件の依頼もなかった。

 自分の思いとしては、早く行政書士業を軌道に乗せたかったが、あまりの無反応に頭を抱えてしまった。こういう時の心境は、精神的にキツいものだ。
 それでも、ホームページ閲覧者から激励の言葉を頂いたり、ホームページによる集客で実績を上げている同業者に刺激を受けたりしながら、方向性としては間違っていないという感覚を得ていた。

 その後、ネット上の様々なエキスパートの助言を得ながらホームページの改良を続け、会社員としての月収よりも行政書士業の収入が上回るようになり、2004年6月に晴れて独立することができた。

 起業や事業の継続には、適切なマーケティング判断が不可欠だが、起業者の信念と周囲の理解も必要だ。
 起業直後は誰でも苦しいものだ。その苦境を突破する原動力は、やはり起業者の信念の強さと、それを支える理解者にあると思う。

投稿者 : 2004年09月30日 14:59 [ 管理人編集 ]