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アメリカンドリーム

 浜田省吾の歌にはアメリカへの思いが込められているものが多い。例えばアルバム「J.BOY」では「アメリカ」というタイトルの曲も存在する。
 その「アメリカ」の中で「映画の中のアメリカンドリーム」とも唄っている。

 ただ、浜田省吾の思いには、単なるサクセス・ストーリーとしてのアメリカンドリームだけではなく、もっと複雑な感情があるような気がする。

 それは浜田省吾が高校生のときに、呉の弾薬庫前の反戦デモに参加し、警官隊と対峙したときに感じた緊張であり、その米軍基地向けに放送されていたFENから聴こえるロックやR&Bの軽快なリズムでもあっただろう。

 当時はベトナム戦争の最中で、多感な若者の間には反戦気運が高まっていた。特に政治思想があったわけではない高校生も、反戦デモに参加するのは珍しいことではなかったという。
 そのような単に平和を望むだけのデモ隊に対し、警官隊を使って威圧する姿が、アメリカの横暴と映ったことは容易に想像できる。

 一方でFENから流れるロックやR&Bには純粋に憧れを抱き、ギターでそれらをコピーした。また、浜田省吾の初恋はロスから来た17歳の女の子であり、18歳であった彼は彼女の故郷にも興味を持っただろう。

 つまり、圧倒的な軍事力を背景に服従を強要する世界の嫌われ者としてのアメリカと、優れたミュージシャンや映画俳優が活躍する自由の国としてのアメリカが、浜田省吾の中で混沌として同居していたのだ。
 そのためアメリカの音楽を聴いて、その文化を積極的に享受しながら、米軍基地に対しては嫌悪感を抱くという葛藤を味わった。

 このような感性は、実は浜田省吾だけの問題ではなく、現在の日米関係でもそのままあてはまるのではないだろうか?
 経済や文化の交流という面では、日米は密接な関係にある。もちろん、政治や軍事面でも同様だ。

 アメリカが提供するハリウッドの娯楽やIT技術は好きだが、湾岸戦争時の戦費調達や工業製品の輸出規制など小うるさいところは嫌いだという人は多いだろう。
 しかも、うるさいだけでなく、このような無理難題を吹っかけてきたときには、力づくでそれを押し通してしまう。まるでドラえもんに出てくるジャイアンのような厚かましさだ。

 それでも、アメリカが優れている点は多いことを認め、アメリカとの関係は良好に保ちたいというのが平均的な日本人の感覚ではないだろうか。

 実際に経済やIT、マーケティングの分野では、アメリカの技術は進んでいる。アメリカで流行したことが1~3年遅れで日本に伝播するという現象は、いまだに日本はアメリカの技術を取り入れてカスタマイズすることで成立しているという事実を示している。

 例えば、小売業であればウォルマートの事例研究に熱心で、POSの活用等もアメリカ発の技術を日本でローカライズさせて発展させたものだ。コンビニエンスストアやフランチャイズ契約という事業形態もアメリカからの輸入物だ。

 ITの分野になれば、更に露骨となる。パソコンに関する主要技術は、ほとんどアメリカが先導している。

OSの分野ではWindowsを開発するMicrosoftの独壇場だし、ワープロ・表計算のオフィス・ソフトも同様だ。
 CPUはIntelの独占状態と言えよう。マッキントッシュも国産機ではない。
 インターネットの世界でも、検索エンジンのGoogleとYahooはアメリカ産だ。この巨大検索エンジンと連動して成長していく広告ビジネスも、アメリカに持っていかれるだろう。

 ちょっとアングラ色の強いビジネスも、アメリカから輸入されてしまう。最新の健康器具や資産運用のビジネスなど、いわゆるマルチ商法のネタ探しは、もっぱらアメリカで物色されている。(マルチ商法自体は合法だが、営利優先のあまり販売トラブルが多いことは否定できない。)

 このようにアメリカの先進技術を輸入して、それを日本市場向けにアレンジしてリリースするのが、戦後から続く一つの商売成功の方程式となっている。
 この方程式は現在でも有効だから、進歩が無いと言えるかもしれない。

 もちろん、自動車や精密加工、アニメーションなど、日本が世界に誇る技術分野も存在する。
 しかし、このような先進分野は安価な労働力を求めて海外移転が止まらない。日本国内では、世界最先端分野での若者の就労機会が減少し続けている。
 来るべき海外赴任に備えて、誰もが英会話学習に余念が無いという状況には、何か皮肉を感じてしまう。

 本来であれば、日本の先進分野をどんどん拡大していくのがベストだ。だが、実際にはIT関連技術のように、大きく遅れをとった分野が存在するのが現実だ。
 その現状認識を正しく持ち、立ち遅れた分野に関しては真摯に学んで、いつかはそれを克服していく努力が必要だ。

 浜田省吾はアメリカに対する憧憬と嫌悪感を共存させつつ、決してその片方に傾くことはしなかった。
 良いものは良くて、悪いものは悪い。その価値判断を個人の中で適切に消化できれば、良いエネルギーのみを吸収できるはずだ。

投稿者 : 2004年09月30日 14:27 [ 管理人編集 ]