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浜田省吾とNHK出演三部作

 浜田省吾がテレビに出ないことは何度も取り上げてきた。

 しかし、全く出演していないわけではない。レア・ケースだが何度かはテレビ出演もしている。
 それには二つの傾向がある。

 一つは、デビューしてから日の浅い黎明期だ。偉大な“ロックスター”浜田省吾であっても、初期の頃は無名の新人であった。まずは多くの人に自分の曲と名前を知ってもらう必要に迫られていた。
 そのためには、テレビに出て演奏を披露する機会を自ら求めていた。また、テレビCMとタイアップした曲作りにも挑戦して、日清のカップラーメンに「風を感じて」が採用された。

 歌番組も「夜のヒットスタジオ」等に出演し、どの新人ミュージシャンもが願うように、そこからブレイクする曲を期待した。
 しかし、小さなヒットは記録するものの、それまでのやり方ではメガ・ヒットというものは実現しなかった。

 そして、彼のロックやバラードについては、テレビ出演によってはヒットさせることが難しいと感じたのであろう。1980年のテレビ神奈川「ファイティング80‘s」を最期に、長らく歌番組との関係は断絶することになった。
 そして、この頃から“浜田省吾のライブのライブは熱い”という評判が高まり、年間100回以上の公演をこなすようになっていった。

 もう一つのテレビ出演は、2001年までスキップする。この年に何と21年ぶりとなるテレビ出演を果たした。バリバリに売れているミュージシャンが、21年間もテレビに出なかったとは信じがたいものだ。

 この2001年の8月にはNHK-BS(90分)、10月にはNHK総合(60分)、12月にはNHK-Hi(120分)に出演し、関係者は“NHK三部作”と呼んだ。
 この一連の番組では、全て浜田省吾側が責任編集を行い彼専用の特別番組となった。選曲からコメントまで浜田省吾自身が編集に関与し、タイアップ狙いのプロモーションとは一線を画していた。

 この企画が実現するまでには、NHKプロデューサーの熱意があったという。NHK側は1999年から出演交渉を続けたが、浜田省吾の回答は“興味は無い”という素っ気ないものだった。もちろん、礼儀正しい浜田省吾のことだから、ソファーで足組みしながら尊大に振舞うようなことは無く、丁重にお断りしたのだろう。

 だが、2000年に「THE HISTORY OF SHOGO HAMADA "SINCE 1975"」というベストアルバムを発売し、これが150万枚を超えるセールスを記録し、これまでの固定ファン以外のリスナーがアルバム購入してくれたことをありがたく思ったという。
 そして、2001年がデビュー25周年ということもあり、初めて浜田省吾の曲を耳にする人たちにも、きちんと自己紹介をしたいという気持ちになったそうだ。

 そこでNHK側の熱意と浜田省吾の感謝の気持ちが同調し、NHKは「絶対にテレビに出ないカリスマスター」をテレビに連れ出す偉業を達成した。
 この特別番組に驚愕し歓喜したファンは多いだろう。遠山もキッチリとこの三部作は録画し、何度も観たクチだ。

 少し余談となるが、10月8日のNHK総合での放映の際には、9.11テロの報復としてアフガニスタンへの空爆開始を報じる字幕テロップが流れ、番組は中断した。
 その時は浜田省吾がビルの屋上で「愛の世代の前に」を唄っているシーンで、「憎しみは憎しみで 怒りは怒りで 裁かれることになぜ気づかないのか」と熱唱していた。
 その途中で放送が中断されたのは、反戦歌がアメリカ軍の横暴により打ち消される様を見たようで後味が悪かった。(こうした番組中断があったので、後日再放送された。)

 そんな偶然からも、浜田省吾の平和を求める姿には、何か因縁めいたものも感じてしまう。

 これらNHK三部作では、貴重なライブ映像やプロモーションビデオの映像を堪能できた。その他にも、浜田省吾のヒーロー像やラブソングについてなど、様々なインタビューもたくさん聞くことができた。

 特に異色だったのが、陣内孝則とのショートコントで、陣内扮するプロデューサーが浜田省吾に説教をするものだった。
 「曲が暗い。明るくしようよ。」「もっとドラマとタイアップしてガッポガッポ儲けよう。」等とキワどい台詞を連発し、その皮肉さに笑ってしまった。

全体としては、コアなファンとしても満足がいく内容だった。はじめて浜田省吾を目にする人たちは、彼の人柄に触れてもっと他の曲も聴いてみたいと思ったかもしれない。
ショートコント等で浜田省吾の新境地を見た気がしたが、残念ながら今後のテレビ出演の可能性は無いという。(ひねくれたコアなファンは、その方向性に安堵していることだろう。)

 このように、浜田省吾もテレビを100%否定しているわけではない。テレビにまつわる様々な制約の存在が、その利用を躊躇わせてきたと言えよう。
 例外的にデビュー25周年の時に、より多くの人に知ってもらうためテレビ出演をした実績はあるのだ。
 これは商業主義の象徴であるテレビとの微妙な距離感を示している。

 それだけにテレビは魔物といえる。うまく付き合わないと、その過剰なまでのコマーシャリズムに染められてしまう。
 そんな危機感を持つ浜田省吾の良識を感じ取り、テレビに溢れる情報との接し方も再考したいものだ。

投稿者 : 2006年04月12日 02:16 [ 管理人編集 ]