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購買行動の二極化

 現在の音楽業界では、一部の大ヒット曲が生まれる一方で、圧倒的多数のミュージシャンの曲は注目されることもなく忘れ去られている。
 大ヒット曲はドラマやCMとのタイアップにより作り出されていることは、他の章で何度も述べたとおりだ。

 こうした傾向を浜田省吾は次のように分析している。

「リスナーがすごい保守化してきて、それは世の中全体的に言えることだけど、ものすごいビッグ・セールスのものとそうでないものの落差が大きい。売れるものと売れないものが段階的に散らばってるんじゃなくて、二極化してるでしょう。それは世の中の流れ同様、保守化してるんだろうとは思う。
 ロック・ミュージックが若かった頃は、ミュージシャンもリスナーも、とても冒険してたよね。新しいサウンドに対して貪欲だったし、新しいサウンドをミュージシャンの方はつくろうとしてたし、リスナーは探そうとしてた。でも今はもう、たぶんそういうものってないんじゃないかな。やっぱりヒットしているものを聞くと、リスナーの欲しがるものを提供してるっていうつくりですよね。歌の内容もメロディもサウンドも。それがいいか悪いかは別にして、けっきょくビジネスに徹した音楽作りになってると思う。
僕なんかは、正直言うと少し反骨気分ってのがあるから“冗談じゃないよ”と思うところがあるんだけど。」(「ROAD&SKY ファンクラブ会報57号」より)

 つまりヒット曲は極めて限定され、音楽のジャンルや売れ方に多様性が無いとも言えるだろう。

 このように圧倒的に強いもの、注目を浴びるものに大衆の関心が集中するのは、日本人の国民性かもしれない。
 野球で言うなら、かつての読売巨人軍。政治の分野では、幾度と無く窮地に立とうとも必ず盛り返す自民党。自動車は世界のトヨタ。今も昔も圧倒的強者に対して信頼をよせて、安心感を得ると言う図式は不変だ。

 これは他人の評価(世論)が気になり、多数派に所属することが大好きで、何かと集団行動をしたがるという典型的な日本人の行動パターンだ。
 終身雇用の終焉や地域社会の崩壊が話題となっても、このメジャーな存在が大好きという日本人の性質はDNAにまで染込んでいるのかもしれない。

 通常の市場原理がダイナミックに働くなら、安価で良質な商品が揃えば、後は適切な広告さえ行えば、その商品は多量に売れるはずである。
 しかし、日本市場は一筋縄ではいかない。他人の評価を第一とするDNAが作用するため、アングロサクソンには理解できない購買行動が起きるのである。

 その一例として、かつて“国民機”と呼ばれたパソコンを取り上げよう。

 それは、NECが生産していたPC-9801(通称キューハチ)シリーズと呼ばれるマシンの伝説だ。
 1990年代初めの頃は、日本でパソコンといえばNECのキューハチのことを指していた。そのシェアは圧倒的で、他社の追従を許さないものだった。それゆえに、キューハチは“国民機”と称号を欲しいままにしていた。

 当時のパソコンのCPUは非力で、海外製のパソコンでは漢字等の日本語表示が困難だった。そこでNECは日本語処理を専門に行う漢字ROMという機能を付加し、高速な文字入力を可能とした。
 その時点ではキューハチにアドバンテージがあり、パソコンに精通した人は知人にキューハチを勧めるようになり、NECのパソコンのシェアは9割を超えていた。
 ブランドに依存する日本人は、キューハチ以外のパソコンには全く関心を示さなかった。(もちろん、その頃からの熱烈なMacファンも存在したが少数派だった。)

 しかし、1995年にWindows95が登場する頃になると状況は激変した。

 この時期にはパソコンのCPUは飛躍的な性能向上を遂げ、漢字ROMに頼らなくてもWindowsで日本語処理は実用レベルに達するようになった。つまり、漢字ROMを搭載していても、その機能は使わない盲腸のような存在となってしまった。
 すると、国際規格(AT互換機)は海外の安価な部品が調達可能となるため、価格面での優位性が明確となった。
 実際に欧米ではAT互換機のWindowsマシンが飛ぶように売れ、キューハチは割高だという認識が浸透し始めた。

 性能でも価格でも優位性を示せなくなったキューハチは、すぐに売れなくなると思われた。
 だが、実際にはWindows95の登場以後も、順調にキューハチは売れ続けた。もちろんNECの価格対応や広告戦略が見事だったこともあるが、これは日本市場独特の現象ともいえよう。(その数年後、NECは緩やかに方針転換を行い、キューハチからAT互換機に切り替えることで見事な生き残りを果たしている。)

 そこには、日本人が集団として盲信したブランドは、少々時代遅れになっても、その神通力を失わないという特徴が読取れる。
 それほど日本市場は世論やオーソリティーの言動に盲従する傾向がある。

 よって、市場に圧倒的勝者が存在する場合は、特に日本市場では同一分野での競合は勝ち目が無い。そのような状況ではサービスの差別化を図り、違う土俵で勝負をかけるべきであろう。その差別化への動機は、浜田省吾の言う“反骨心”であっても構わない。
 それが購買行動の二極化に適応していく術だと言えよう。

投稿者 : 2006年04月12日 02:46 [ 管理人編集 ]