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ロックへのセグメント化

ロックへのセグメント化

 かつて浜田省吾は日本の音楽業界では非主流の存在だった。いわゆるニューミュージックというジャンルの音楽は、大量のCMやプロモーションを前提として、広告や宣伝活動の物量作戦によってセールスをするのが常識化していると言えよう。

 ドラマ・アニメ・映画・CMとタイアップして作り込みをされた曲が、ヒット曲となるのが一般的現象となっている。
 また、こうしたタイアップにはテレビというメディアの存在が不可分であり、それだけにミュージシャンは歌番組への出演には積極的となる。
 つまり、テレビ抜きには日本の音楽セールスは始まらないというわけだ。

 そのテレビに出ないということは、従来の音楽マーケティング活動では自殺行為に等しいとも言えよう。
 無論、浜田省吾も初期の頃はテレビやラジオというメディアへの出演や、テレビCMとのタイアップをして、(当時は)EP・LPレコードの販売促進活動にチャレンジをしていた。
 遠山はリアルタイムで観た記憶は無いが、「ヤング オー オー」に出演したり、日清のカップラーメンのCMに「風を感じて」が使用されたらしい。

 また、浜田省吾は「デビューから5枚目のアルバムまでは廃盤にして欲しい」と冗談で語っている。その主な理由として、初期の頃は音楽の方向性が定まらず、周囲のアドバイスに従って“売るための”音楽であるポップス系を作っていたと述べている。混迷が深まって他人に作詞をしてもらったりもした。
 しかし、思うように売れずに、「それなら、(本心に従って)もっとハード・ロックをやりたい」と思うようになったという。

 その時点で大きな思い切りがあったのだろう。6枚目のアルバム「Home Bound」(1980年発売)では「終わりなき疾走」を始めとするロック基調の曲が増え、この年に初めて年間のライブ数が100を超えた。
 現在の浜田省吾のモデル・パターンは、この時期に形成されたと言ってよいだろう。そして、この戦略は当たり浜田省吾は“ロック・スター”“ライブの帝王”の称号を得るようになっていった。

 ちょと見方を変えれば、テレビではポップス系の曲がもてはやされていて、音楽業界の主戦場はポップスの過熱で消耗戦に突入していたとも分析ができる。
 その主戦場を回避し、ハード・ロックをしかもライブ中心でPRするという戦略に切り替えたとも言えないだろうか。
 つまり、経済的にも精神的にも消耗・疲弊が強いられるテレビ=ポップスを敬遠し、日本では未開拓だったライブ=ロックという分野に特化していったということだ。

 このような競合を避け、専門分野に特化(セグメント化)していく手法を、経済理論では“ランチェスター戦略”という。
 ランチェスター戦略とは、第一次世界大戦時にイギリスのエンジニアであったF.W.ランチャスターが考案した戦争の法則で、第二次世界大戦後は企業の経済戦略理論として応用され現在に至っている。

 ランチェスター理論の要点について、挑戦者側から見た場合は以下の通りである。

「大局での競合(消耗戦)の回避」
「差別化(セグメント化)した局所で戦う」
「局所に経営資源を一点集中し圧倒的勝利をする(カテゴリー・キラー)」

 大局での競合を回避するというのは、資本力や販売力で劣る立場にある挑戦者は、既にディファクト・スタンダート(事実上の標準)を確立している勝者が存在する市場には参入しないということだ。
 トヨタやGMと真っ向勝負をして、大衆車の製造メーカーを起業すると言う人はいないだろう。もし、いたとしても銀行は1円も融資してくれまい。
 しかし、大衆車ではなくニッチな分野の極めて趣味的な車を作るなら、ごく僅かな希望はあるかもしれない。

 差別化した局所というのは、巨大な販売網を持った会社でも、苦手な分野は存在するものだ。その大手が扱わない市場に狙いをつけることだ。
 イトーヨーカドーやイオンの隣地で物販の店舗を構えるのは厳しいが、これら巨大スーパーでは売り場面積の少ない商品に目をつけ、そのジャンルに特化した店作りをすれば勝算は生まれる。
 例えば、隣接する巨大スーパーが100坪の衣料品の売り場面積を有していたなら、50坪の紳士服専門店を作る。店舗面積が20坪しかなければ、更に「大きいサイズ」に特化する。このような工夫が差別化といえよう。

 局所に経営資源を一点集中とは、差別化した事業を片手間でやっていてはいけないということだ。片手間の仕事では、消費者の要求するクオリティーは満たせない。
 差別化すると決めた事業(市場)に対して、経営資源や人材を全力投球することだ。そうしないと、新興市場に目をつけた大手が後から参入してきた時に太刀打ちできなくなってしまう。
 かつて世界のパソコンメーカーといえば、それはIBMのことを指した。しかし、汎用コンピュータ(パソコン)に特化したコンパックの台頭を許し、その後は通販やインターネット直売に特化したDELLが販売台数を凌駕している。
 そして、当のIBMはパソコン事業では利益を出せなくなり、その事業を中国企業に売却した。これも、DELLが販売店を通さない通販という事業に全力投球したからだ。DELLが既存販売網の圧力に屈してダイレクト販売を止めていたら、現在のシェアは無かっただろう。

 浜田省吾もロックとライブという差別化を図り、その分野での先駆者となった。そして、商業的にも成功を収め、既存メディアからも一目置かれる存在=カリスマに昇華したといえよう。

 新しく事業を始める場合は、ほとんど誰もが挑戦者という立場に置かれる。その際には、既存市場との差別化や一点集中という戦略が有効となるのだ。

投稿者 : 2006年04月12日 02:35 [ 管理人編集 ]