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浜田省吾と家族愛

 男女の恋愛が結実すると、それは結婚につながり、やがて親子や家族という関係が発生する。もちろん例外もあるだろうが、一般的にはそういう過程を辿るだろう。
 つまり、恋愛感情は家族愛に昇華していくものだ。

 その家族愛では、親子というのも重要なキーワードとなる。親子の愛情というと、普通は母親と子供の関係を連想するだろう。
 子供にとって母親というのは、無条件に受け入れてくれる特別な存在なのだ。実際に遠山の家庭においても、子供が慕うのは母親であり、父親は半歩離れたところにポジショニングされている実感はある。子供が年頃になった暁に、洗濯物を箸でつままれるような状態にはならないよう気をつけたいものだ。

 また、遠山自身の育った環境が父親とは死別による母子家庭だったため、父親の存在感がどういうものなのかリアルにはわからなかった。物心ついたときには母親しか存在せず、よその家庭で茶の間に父親が鎮座しているのを目にすると、何か敬遠する心境が働いた。  そのため、自分の感覚では親イコール母親であったので、父親象のイメージが貧困であることをお断りしておく。どうも、「父親なんていなくても子は育つ」という感覚が染み付いていることは否めない。
 だからといって責任転嫁するつもりは無いが、自分が父親になったときには、妙な違和感があった。どう対応すべきかわからないというか、所在無さみたいなものを感じた。それは、初めて我が子と対面した父親なら誰でも感じることかもしれないが。
 それでも10年も父親業をしていると、それなりにやるべきことは心得てくる。そんな今になって、亡き父親の胸中や母親の苦労に思いがいくようになった。

 そんな遠山の抱く個人的な父親像は別にしても、世間一般の認識においても現代の父親は家庭で疎外されているのかもしれない。
 父親は仕事だゴルフだ釣りだといって家にいないから、どうしても子供は母親についてしまう。仕事で疲弊しきっていることは確かなので、たまの休日は寝転んでいると子供にはグウタラしているようにしか映らない。その子供が思春期になれば「子供が口をきいてくれない」と嘆く父親は多い。

 実に頼り気の無い父親像になってしまうが、意外にも浜田省吾は父親との関係を歌にしているものが多い。

 1984年に発表された「DADDY‘s TOWN」では、「GOOD-bye Little Daddy’s Town 何もかも閉ざされたMy Hometown」と父親の住む街に毒づいて、家と街を飛び出すことを宣言する心境を曲にしている。
 そこには父親が少年の抑圧の対象として描かれている。

 1988年の「DARKNESS IN THE HEART」では、「思い出す病室で痩せていく父の姿を 痛みから解かれて去って行った独りきり 車の窓に映っているおれの顔 彼に似ている」と癌との闘病生活の末に亡くなった父親を回顧している。
 それは父親に対する伝え切れなかった思いと、その血をひく自分がどう生きるかという自問がある。

 そして2005年の「I AM A FATHER」では、「傷ついてる暇なんか無い 前だけ見て進む」「嘆いてる暇なんか無い 命がけで守る」と父親としての決意表明をしている。
 浜田省吾自身には子供はいない。それでも、父親世代の心情を代弁して、かつては少年だったが自分が今では父親になったことの自覚を軽快なロックにしている。

 このように少年時代は威圧的な壁として存在していた父親が、実は社会の荒波からの防波堤として身を捧げてくれていたことに気づき、今度は自分が子供のために堤防となっていくことを一連の歌にしている。
 浜田省吾の30年の音楽活動の流れの中で、父親というキーワードの視点が対立の対象から和解、そして踏襲へとシフトしている気がする。

 少年期の父親ならびに社会への反抗というテーマでは、佐野元春が「ガラスのジェネレーション」で唄った「つまらない大人にはなりたくない」というフレーズも有名だ。
 1960年代から70年代にかけては、Don’t Trust Over Thirty(30歳以上の大人の言うことを信用するな)というスローガンも流行したらしい。
 これは大人社会に対する不信感から、反抗という自己表現をする若者らしい特性を表している。

 そんな反抗期を経て、かつては嫌悪の対象であった大人になってしまった現在の父親世代は、もうハラをくくるしかない。
 傷ついて感傷的になったり、不遇を嘆いている暇など無く、現実的な問題が次々と目の前に出現するのだ。これはもう、命がけで前に進んでいくしかない。その生き様を子供に対して背中で語るしかないだろう。かつては自分たちの父親がそうしてくれたように。

 でも、自分が子供の頃の父親には問答無用の理不尽さがあったと思うなら、そこは改めて子供には向かい合いたいものだ。

 今の父親は育児や子育てに積極的に関わろうとしても、残業や休日出勤などビジネスマンの苦役はキツく、なかなか時間が確保できないという問題はある。
 また、子供を巻き込んだ凶悪犯罪は増え、世の中が世知辛くなってきている。そのような困難はあるが、だからといって子育てを放棄するわけにはいかない。

 そのような父親世代の決意の曲として、I AM A FATHERは歌い継がれている可能性を秘めている。これは時代を反映し、家族のあるべき姿を予見する曲と言っていいだろう。

投稿者 : 2006年04月12日 03:21 [ 管理人編集 ]