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マンネリを打破する組織

 音楽においてロックンロールの対極にあるのがクラシックではないだろうか。ロックが観客も参加して大騒ぎする“動”の音楽で、クラシックは落ち着いた聴衆が聴き入る“静”の音楽といえるだろう。

 通常のロックコンサートであれば、そこで使用される楽器はギター・キーボード・ドラム等というのが一般的なイメージだ。
 チェロ・ビオラ・バイオリンといういわゆるストリングスは、普通ならクラシックの楽器だ。しかし、浜田省吾のライブツアーであるON THE ROAD 2001では、そのストリングスを同行してバリバリのロックに取り込んだ。

 ツアーの当初はライブの中でバラードを3曲演奏するだけの役割だったストリングスだが、ライブの回数を重ねるうちにヒップホップやロックまで参加して、新境地を披露するようになった。

 ストリングスメンバーの4人は東京芸術大学出身の女性で、アカデミックな才媛たちだ。ロックや歌謡曲とは縁遠い教育を受けてきたはずだ。それでも浜田省吾のロックライブに参加して楽しそうに演奏する姿は印象的だった。

 なぜ、ロックのライブにストリングスを取り入れたのかというと、「なかなか生の弦楽器の音をコンサートで聴く機会がない地方のファンに楽しんでもらいたくて」と浜田省吾は語っている。(日経エンタテイメント 2000年2月号より)
 その目的はファンへのサービスということだろう。

 既に自分たちで確立したロックライブのスタイルでも満員御礼となるわけだから、その手法を継続するのが無難な気はする。
 だが、そこに気の緩みとかマンネリの危険性が潜む。安定的な評価はマンネリと紙一重と言えるかもしれない。
 そこで、意外とも思える取り合わせで、より高いレベルでのファンサービスを図る意欲はさすがだ。

 このようなマンネリとの格闘は、外食産業でも垣間見ることができる。定番商品だけで充分に人気店となっても、年に何度かは新メニューを登場させる努力をしているものだ。大抵はおいしさに納得がいくメニューだが、時には外すこともあろう。湯豆腐にイチゴジャムをトッピングするようなインパクト勝負に出て、失敗するのも愛嬌かもしれない。

 もちろん、新メニューの追加など一切無しに繁盛している専門店もある。伊勢の赤福もちのように、それ一本で営業を続ける老舗は存在する。だが、それは長い歴史で培った信用であり、一朝一夕で築き上げられるものではない。
 やはり、大多数のビジネスマンにとって、新しいサービスや新企画には絶えず挑まなくてはならないものだろう。

 そんな新しいものへのチャレンジは、疲弊しきった組織にはハードルが高い。組織の内部で風通しが悪く、不信感がうごめくような人間関係では、冒険は許されない。

 浜田省吾のライブで、ストリングスがヒップポップやロックに参加するようになったのも、ストリングスのメンバーと従来からのミュージシャンが深く熱いディスカッションを交わしたからだ。
 その際に、浜田省吾が独善的であったら、ロックにまでストリングスが加わるコラボレーションは生まれなかっただろう。
 それはミーティングで本音を語り合える環境作りに成功したということだ。ただ、そのような意見交流が出来るようになるまで、数ヶ月は要したようだ。真に深いディスカッションができるようになるには、ある程度の時間は必要だ。

 何か新しいことに挑みたくても、組織の中で自由に物が言えない雰囲気があれば、どうしてもその組織の活動は停滞してしまう。
 そんな組織が嫌だと思いつつも、そこからは離れられないのがサラリーマンの辛いところだ。

 ただ、諦めてしまえばそこで終わりである。その組織に所属している間は、人事異動でもない限り停滞した雰囲気に身を委ねる事になってしまう。
 それを変えるには、誰かが一歩踏み出さなければ始まらない。

 強い組織というのは、新しい企画について冒険ができるものだ。その前提条件として、事業の見通しなどを本音で語れる人間関係が必要だ。各自が方向性について意見を戦わせても、互いの信頼感を見失うようなことがなければ本物と言えよう。

投稿者 : 2006年04月12日 03:08 [ 管理人編集 ]