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浜田省吾と日米文化

 国際的な交流が進んで、現在では日本にいながら音楽や料理などバラエティに富んだものが楽しめる。
 テレビ番組もいろいろな国の習慣を紹介したり、異文化に飛び込む日本人の姿を放映している。もちろん、インターネットを使って直接外国の様子を調べることも可能だ。

 そんな中で、各国の良いものはすぐに輸入され、日本人の音感や味覚にあったカスタマイズが行われ、そしてJAPN仕様となって流行していく。
 こうしてブレイクしたものは、不思議なもので昔から日本にあったかのような存在感を示し定着していく。

 文化の融合とはそんなもので、それぞれの出自を明確に意識する必要なんて無いのかもしれない。

 だが、浜田省吾はプロフェッシャルゆえに音楽のルーツにはこだわっているようだ。彼の制作するロックやR&B、バラードといった種類の音楽は、元はアメリカから輸入されたものだ。
 その音楽や文化の浸透について、浜田省吾は次のように語っている。

「 例えばアメリカ人なら音楽的にいき詰ったり、アイデンティティにいき詰っても、カントリー&ウェスタンとか開拓精神といった原点に帰って行けるでしょ。オレはどうかと言えば、帰る場所がきっとあるハズなんだろうけど、伝統的な和楽とは感覚的にかけ離れ過ぎてて、そこには帰って行けない。それは一体何なのだろう。ひょっとしたらオレは戦後の子供だということをしっかり認識しないで、オブラートに包まれて育ってきたんじゃないかって思った。どういうことかと言うと、日本はかつて人類史上例の無い原爆ってやり方で占領された。つまり強姦され、その結果生まれてきた子供じゃないかってことなんです。」(FM fan 1988年3月7日号より)

 ちょっと過激な表現だが、音楽にしても文化全般にしても、戦後の日本はアメリカから積極的に吸収しようとして、結果として古来からの伝統文化は軽んじることになったという事実は認識できる。
 それで、今更伝統文化に立ち返って琴や尺八をやろうとは思えない。能や歌舞伎が見直されているとといっても、ハリウッド映画に匹敵するような観客動員数を見込むことはできない。

 そう考えると、戦後と戦中以前では日本という国の文化はガラリと変わってしまったことになる。本来なら音楽も含めた文化や歴史というのは、気の遠くなるような年月を経て継承されていくものだ。
 しかし、日本の場合は伝統文化が急速に弱体化し、アメリカから輸入された文化がコンピュータウィルスのように瞬時に爆発的に普及した。

 そのようなアメリカン・ライフスタイルに憧れた人々が、物欲を刺激されてそれを手に入れようと懸命に働いた。その結果、高度経済成長を実現し経済大国と言われた礎を作った。
 テレビで流れる音楽も、ポップミュージックが主流となり、和楽は影を潜めた。

 このように戦後はアメリカを向いて突っ走って来たわけだが、走り疲れてふとふりかえると、そこには昭和初期の故郷の面影は消滅していた。
 故郷を探して明治の町並みを見ても、そこは居心地が悪い。結局、東京的な暮らしや文化から離れることはできない。

 実はこのような戦後の文化変容の体験は、日本は近代にも体験している。

 そう、明治維新だ。

 明治維新は外圧による影響が大きかった。黒船来襲ってやつだ。欧米列強に開国を迫られ、サムライはちょんまげを落とした。
 もちろん、第二次大戦のようなアメリカによる占領という事態までには至らず、幕府を倒して新政府を樹立するというのは、基本的には日本人の手で行われた。この点は戦後のアメリカ盲従との相違点だ。

 だが、急速に近代化を急ぐことになり、欧米の文化輸入は最高のハイカラとして崇拝された。
 現代日本のイタリアやフランスのブランド信仰などは、この頃に形成されたのかもしれない。

 そして、大正デモクラシーやいくつもの戦争を経て、1945年にアメリカに占領されることとなった。
 戦争中に鬼畜米英と刷り込みをされていても、明治の代で変わり身の早さを経験していた日本人は、手のひらの返し方は体得していた。
 それはもう、驚くほどのスピードでフォードやクライスラーを研究し、世界のトヨタやホンダを生み出した。

 音楽の分野では、初期の頃はビートルズやエルビス・プレスリーを丸ごと受け入れて崇拝したが、歌詞が何を言っているかわかんねえやということになる。
 そこで、洋楽のリズムにのせて日本語で日本人の心情を唄うヒーローたちが出現した。浜田省吾はその代表格で、既に日本人のリズム感として市民権を得たロックで「J.BOY」と叫んで喝采を得るようになった。「J.BOY」とは、もちろんJAPANESE BOYのことだ。

 みんなが大好きなアメリカ文化は取り入れつつ、全てをマネしているわけではない。かといって、復古主義で演歌を唄うわけでもない。
 現在の日本人が抱いている気分を、忠実に歌詞へ反映してくれる。それが浜田省吾ではないのだろうか。

 アメリカとの距離感を丁度良く保って、日本人の精神性も大事にする。この現実を受け入れて独自の道を模索する姿が、あらゆる分野で求められているのではないだろうか。

投稿者 : 2006年04月12日 03:25 [ 管理人編集 ]