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浜田省吾とラブソング

 浜田省吾はよく「単純なラブソングが好きだ」と語っている。また、実際に数多くのラブソングをつくっており、ファンはその世界に陶酔する。カラオケでも定番となっているバラードも多い。

 「もう一つの土曜日」や「愛しい人へ」のような苦労の末のプロポーズや結婚への決意表明を歌った曲もあれば、「片思い」や「陽のあたる場所」のような成就することの無い後暗い情感あふれる曲もある。
 どちらかといえば、うまくいかない恋愛を唄った曲の比率の方が高いだろう。それ故に「浜省の曲って暗いよね」っていう評価もつきまとうが、それも歌詞の素晴らしさの勲章と言えよう。

 こうしたバラードは、見事なストーリー性を構築しており、その歌詞で60分枠の恋愛ドラマが一本できるほどだ。それほど歌詞の情景描写は見事で、聴き入るほどにそんなドラマの1シーンが瞼に浮かんでくるようだ。

 そのような男女間の恋愛については、普通は結婚までが一つのクライマックスとなるだろう。(結婚してからも婚外恋愛で盛り上がってしまうイケナイ恋愛体質の人もいるでしょうが・・・)
 恋愛の一応のゴール(通過点という説が主流だが)である結婚までには、くっついたり離れたり、時には横恋慕があったりと様々なドラマがある。
 結婚してからも家族のドラマはあるわけだが、それは別の章で述べることにする。

 その結婚式という社会的儀礼を通過すると、自由恋愛の頃とは違った責任が発生する。恋愛や結婚について話すのに、“責任”とか持ち出すのは興醒めだが、逃れようの無い事実なのだ。
 その責任とは、同居や協力扶助の義務であったり、夫婦貞操の義務であったりする。ちなみにこれは民法第752条や同法第770条にキッチリと定められている。

 正確に言うと、その“責任”は結婚の時点ではなく、結婚を誓い合った時点(いわゆる婚約)から発生するという見解が主流になっている。
 つまり、婚約以前の自由恋愛の状態であれば、一方的に別れても損害賠償の責任は生じない。平たく言うと、慰謝料を支払う必要は無いってことだ。

 しかし、いったん婚約なり結婚をすると、これは契約が成立したってことになり、一方的に破棄をする場合は損害賠償責任が発生する。こんなケースでは、身勝手に別れると言った方は、ガッポリと慰謝料を持っていかれることになる。その別れる原因が浮気ということなら、もう逃げようがない。

 すると、自由恋愛のうちは失敗したり傷つくのも自己責任ということになる。浜田省吾も「彼女はブルー」の中で「愛ははかなく 契約なんてないのよ」と唄っている。
 結婚という契約が成立すれば、法律が守ってくれる場合もある。でも、婚約前の自由恋愛は、どれほど失恋のショックを受けようとも、その苦しみは自分ひとりで背負わなくてはならない。それが近代の原則であり、自己責任ということだ。

 今は婚約破棄や離婚について苦しむ人は増えている。それは辛い出来事であるし、その人の人生においては大きな悲劇だ。統計的な離婚率の上昇を見て嘆く人も多い。
 しかし、明治以前であれば、婚約を拒んだり離婚をする自由はなかった。不本意な結婚生活であっても、それを断ち切る自由がなかったわけだ。当時でも、離婚の自由が認められ、経済的にも問題が無ければ、恐らく離婚率は格段に上がっていただろう。
 そういう意味では、婚約破棄や離婚の自由が広まったと言えよう。何も我慢して嫌になった相手と同居を続ける必要は無いということだ。

 交際相手も自由に選べ、婚姻生活が我慢の限界を超えるようなら、離婚するのも自由なのだ。
 だからといって、別れるのを前提とするような非生産的な疲れる交際の仕方はオススメできない。男女恋愛をするなら、本気で相手を愛し抜く気概を持つべきだと思う。
 ビジネスでも、失敗を前提として企画を打つことはありえないだろう。失敗を「想定の範囲内」等と取り繕ってみても虚しいだけだ。

 同じように、恋愛でも長続きしないと思いながら付き合うのは、やはり虚しいだろう。交際をするからには、結婚を意識できる相手と付き合った方が健全だ。真剣に付き合ってみたものの、結果としてうまくいかない場合もある。そんな時は、かなり落ち込んでしまうのは仕方ない。
 しかし、いつまでも沈んでいても始まらない。ひとしきり辛さを噛み締めたら、その後は立ち上がらないといけない。

 恋愛の破局時には半狂乱になる人も多い。その心情は理解できる。ただ、それは相手に対する依存心が強すぎるということだ。
 恋愛をするのは自立した男女だ。その自立が怪しいと、相手に精神的にドップリと依存してしまう。恋愛がうまくいっているうちは、それでも何とか回るものだが、別れることになったときには取り乱してしまうことになる。

 人生には挫折とか失敗はつきものだ。受験や就職に失敗することもあれば、事業に失敗することもある。恋愛や婚姻生活の挫折も、そのような失敗の一つと言える。その挫折のたびに半狂乱となっていては、やはり強くなっていくことはできない。
 浜田省吾は成就しない恋の歌を数多くつくっている。それは、転んでも起き上がることの大切さを説き、辛い気持ちの人の背中を押してくれる優しさもある。そんなラブソングを人生の応援歌と思って、活力に変えていきたいものだ。

投稿者 : 2006年04月12日 03:19 [ 管理人編集 ]